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1万円札の人物で、慶応大学の創始者、福沢諭吉は、明治の初めに大ベストセラーとなった『学問のすすめ』を書きました。 この本にある、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云えり」は、あまりにも有名ですが、同書の中の次の文章も見逃せません。 「味噌も舶来品ならば斯までに軽蔑を受くることもなからん。豆腐も洋人の『テーブル』に上らば一層の声価を増さん。鰻の蒲焼き、茶碗蒸等に至ては世界第一美味の飛切とて評判を得ることなる可し」 日本が開化され文明国としての評価を得れば、おのずと味噌も豆腐も評判が高まり、うなぎの蒲焼、茶碗蒸しに至っては、世界一の美味と絶賛されるに違いないと力説しています。 江戸末期に咸臨丸で渡米し、仏英蘭独露葡6か国も歴訪し、世界の政治経済、科学技術、文化、そして食に触れた福沢諭吉。うなぎの蒲焼は、世界の味を知る彼が太鼓判を押した、日本が世界に誇れる味の至宝です。
出典:『学問のすすめ』 日本評論社
夏目漱石はある手紙の中で、「僕は笹の雪流な味を愛す」と書きました。「笹乃雪」は上野根岸にあった豆腐料理の老舗。淡泊な味を好むという意味です。〈粋でしょ、クールだろ〉とアピールしたかったのかもしれません。しかし実際の漱石の味の好みは真逆で、濃厚なものが大好きでした。 たとえば、うなぎの蒲焼。 胃潰瘍で生死をさ迷い長期入院を強いられ、ようやく訪れた快復期に食事制限が続いていたとき、漱石はこんな想像を楽しんでいました。 「ねながらいろいろ献立を頭の中でこさえて、やれ西洋料理だ、今度は鰻だという風に想像の中で御馳走をならべて見るのだ」 うなぎへのこだわりは相当で、いつもなかなか頭から離れません。 知人の小説の一場面について、次の感想を述べています。 「あんな所があれば僕も住んで見たいと思ふ。鹿の声を聴いて一寸出ると鰻飯が食へると云ふ様な所と被存候」 「鹿の声」は、奥山の趣深さの象徴で、「鰻飯」とはうな重やうな丼のこと。漱石は、心も胃袋も両方いっぺんに満たせる位置にある居所を、理想としたようです。
出典:『漱石全集 第二十二巻』/『漱石全集 第二十三巻』 岩波書店
太宰治の「メリイクリスマス」は、うなぎの蒲焼が重要な役目を果たす、哀しくも美しい作品です。太宰治もうなぎが大好物でした。文豪となるための条件の一つはうなぎ好きなのでしょうか。 あるとき太宰は、師匠井伏鱒二からうなぎをもらい、次の礼状を書きました。 「その折は、うなぎをどっさりいただき、頭もキモもみんなおいしくいただきました」 そして、知り合いの詩人には、うなぎの蒲焼付きの希望を伝えました。 「またお逢いして、ブドウ酒を飲み、ウナギを食べて文学の談を交すことが出来るかと思い、楽しみにして居ります」 さらに、太宰が他の追随を許さないうなぎ好きであることを証明する手紙があります。 「橋のたもとに、紫色のノレンをはためかせているウナギ屋の屋台があります。そこのおやじ、或いはおかみにたずねると、私のいるところがわかります。おやじは自転車で私を迎えに来てくれます。私は日々、午後三時まで仕事して、三時以降は、ウナギ屋でお酒を飲み、ヘトヘトに疲れています」 太宰をここまでとらえた屋台のうなぎの蒲焼の美味を想像すると、涎が止まりません。
出典:『太宰治全集 第十一巻』 筑摩書房
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